2024/01/27

放火事件とパクリについて思う事。

青葉の事件のニュースを見ると非常に落ち込む。
事件のあまりの悲惨さもそうだし、個人的には犯人に対する世間の怒りや攻撃を、無関係である創作物をパクられて声を上げた人へ矛先を摩り替えようとする悪意のある人間がいる事に唖然とする。
ある編集者はこの事件をパクリだと声を上げた人間に対して「お前はこの犯人と同レベルだ」と指摘するのに使えるという趣旨の内容を投稿していた。

昔連続幼女誘拐事件があった時、逮捕された犯人はオタクだと偏見や悪感情を煽るように報道され、日本中でオタク全体が犯罪者のような見方をされた時期があった。
その時と同じものを感じた。


僕は昔、「あなたのファンです。あなたの絵に魂を抜かれました」と言った絵描きに絵柄を真似された。
以前の絵柄を捨てた彼が出す同人誌の表紙や決めゴマはほぼすべて僕が試行錯誤して自分なりにたどり着いた顔だった。
本の表紙や漫画の決めゴマはその作品の絵の魅力や商品価値そのものと言ってもいいと思う。
そこを他人が絶妙な魅力になるよう何度も微調整を繰り返して仕上げたものをそっくり真似するだけというのはどうなのか。

その人の友人のある絵描きは「〇〇さん(パクった人)の絵柄~」とメッセージを添えてファンアートを送っていた。
一般に絵柄には著作権がないとされる。しかし「絵柄」と強調してファンアートを送るのは、著作権がなくともその当時はその絵柄自体に商品価値があったからなのでは?と思う。

それを一方的に模倣して自分のものにしてしまう事を「違法でないから」という理由で全面的に是とする事に僕は賛成できない。一部ならまだわかるが。
今となってはもうありふれたどこにでもある表現になってしまった。
当時の僕の労力は彼に勝手に消費され、評価、成功されるチャンスは永遠に失われた。
結局、模倣された事で自分の絵が彼と似た顔になってしまった事が嫌になり、
僕の方がその絵を描けなくなり、新しく魅力的な絵柄を追求して絵を描いて来た。


他にもあなたの絵にすごく刺激を受けて真似したいと言われて真似された事もある。
最近では漫画の話を一生懸命考えて、昔ノンケの先輩に優しくされた事を思い出してそれに思いついたアイディアを加えて盛り上がるよう脚色して自分では面白いストーリー作れたと思ったら、その漫画の企画がトラブルで休止している間に登場キャラやセリフの語尾などを変えて真似された事もある。他人の作品を、まるでネットミームのような扱いだと思った。

そしてその真似した者達は、僕にリスペクトはなかった。
それどころか、敵視し、見下し、できれば亡き者にしたがっているようだった。
最後の漫画のストーリーを真似た絵描きはXで僕をブロックしていた。


もし僕がプロの作家で生産力も他の作家に負けていないのなら、
多少真似されたとしてもそれで潰される事なんてなかったと思う。
それは実力、認知度や評価に大きな開きがあり、真似された所でたいした問題にならないからだ。

でも実際は最初に僕の絵柄を真似した絵描きはその絵柄で当時僕よりずっとブレイクしたし、
最近僕の漫画のストーリーを真似た(メインのシーンをオリキャラでリメイクした?)漫画は、元の僕の漫画よりいいねが3倍近く付いていた。

現実の僕は余力があり寛大なプロではなく、
昔から持病で体調に余裕がなく、生活のすべてを投げうって
寡作ながらなんとか創作活動を続けている身だ。

さほど個性的な絵柄ではないのでありふれたものと思われるかもしれないが、
自分の感性を頼りに試行錯誤や微調整を繰り返して魅力的な絵柄を作るのに少ない体力の大半を費やしていると言ってもいいと思う。

そんな人間の絵を真似したいと言ってくる健康で生産力の高い絵描きに対して、
パクらないで欲しいと主張する事が悪い事だと言われると、
僕はヘトヘトでやっと作り出した絵柄を奪われ、勝手に大量生産、商品化されるのを黙って見ている事しかできなくなる。

まして「お前は(大量殺人鬼である)青葉と同レベルだ」等とレッテルを貼るのは、
本来パクられて奪われるだけでも筆を折るに充分なのに、絵など初めから描かなければ良かったのかと後悔する程の侮辱だ。
そんな事を言い出すのはごく限られた人間だけだとは思うが…。


昔から模倣する時は模倣する相手へのリスペクトが重要だとされてきた。
しかし近年ではそれすら軽視され、違法でなければどんどんパクろう等と喧伝する悪質なインフルエンサーもいる。
でもやっぱり僕はリスペクトが大事だと思う。
そして相手に被害を与えないようタイミングを考慮する事だと思います。
関連記事

コメント

非公開コメント